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山口県:晩秋の萩・津和野紀行〜萩編〜

奥様のたっての希望で訪れました。 私自身は、大学生の時以来です・・・ お天気は、ときどき雨交じりでしたが、この時期としては贅沢も言っておられません。 随分と様相が変わり、夏みかん畑が少なくなったようです。 でも、観光地として力を入れているようで、案内板も分かり易くなりました。ただ、中心部の商店街は活気が無い様子です。 宿はかなり新しいところ(堀内地区の北門屋敷)を選びましたが、女性には好感が持たれるところではないでしょうか。 奥様はエステなんぞやって、かなり満足したようですよ。 2日目は、湯田温泉に宿泊、泉質はアルカリ単純泉の掛け流しで大変結構な温泉と思いますが、関東地方の方々に知られていないのが、少々残念です。 3日目は、津和野半日観光と相成りました。 晩秋の萩・津和野紀行〜萩編〜
高杉晋作の生家の跡地。敷地は当時の半分程度だそうです。菊屋横町にあります。
高杉晋作の生家の跡地。敷地は当時の半分程度だそうです。菊屋横町にあります。
皆さんご存じの松下村塾の講義室です。こんな狭い場所から、幕末明治を駆け抜けた多くの人々が輩出されたとは・・・誰もが感慨深げになると思います。
皆さんご存じの松下村塾の講義室です。こんな狭い場所から、幕末明治を駆け抜けた多くの人々が輩出されたとは・・・誰もが感慨深げになると思います。


山口県:歴史の町 下関と萩を巡る旅

歴史の町 下関と萩を巡る旅
今年の旅行は熊野古道の旅、春の高山祭り、黒川温泉と由布院、四国の清流四万十川の旅、に続き5回目を数えることになってしまった。結婚の区切りの年には海外旅行へ行っていたが、今年は結婚35周年なのに海外旅行へ行っていない。でも、国内でこれだけお金を使っているので許してもらおう。 日本史は僕が好きな分野だが、その中でも最も得意とする時代は戦国時代と明治維新だ。明治維新の登場人物の中では、坂本龍馬と高杉晋作は特に興味のある人物だ。前回の四国四万十川の旅では高知へ出て坂本龍馬ゆかりの地を回り、龍馬が脱藩の時に歩いた道を走破したが、脱藩して向った先が馬関だった。馬関は高杉晋作が奇兵隊を蜂起させて明治維新を演出した地でもある。そこで今回は四国の旅の延長、というような感じで馬関の現在の地名である下関と、そういう若い革新的な武士を育んだ長州の首都萩を巡る旅にした。でも、この時期の下関といえばフグである。そこでフグをたっぷり食べて、ついでに秋芳洞などという有名観光地を回ってくるように計画した。 11月16日(木) 今回の山口宇部空港行きの飛行機は、これまでのどの飛行機よりも一番早い午前6時50分の出発である。家を暗いうちに出て羽田に向う。東名高速はまだトラックが多い時間帯だったが、湾岸線を経由して羽田に到着したのは5時50分頃。今日は連絡通路のある第三駐車場の4階に停めることができた。そんな早い時間なのに出発ロビーは人であふれていた。早速チェックイン手続きを行う。今日のチケットは株主優待券を利用したものだ。 前回も食べた出発ロビーの食堂は6時半オープンなので6時50分出発のANA691便には間に合わない。そこで駅弁ならぬ「空弁」を買って搭乗口に行く。飛行機に乗り込むまで時間があったので、ここのソファで朝食にする。空弁も2段重ねのおにぎり弁当で、惣菜も結構入っていた。今日の飛行機もボーイング737-300だが、今日はバスではなく51番搭乗口からの出発だった。行きの席は11番のFとG。飛行機の窓から晴天の下界を見ながら飛ぶのは久しぶりだ。飛行機は琵琶湖上空から瀬戸内海に出て山口に近付く。高度を落として瀬戸内海の船が大きく見えてきたらランディングだった。 山口宇部空港でのレンタカーは、トヨタの営業所があるのではなく空港内のカウンターで手続きが行われる。車は空港の駐車場の片隅に停めてあり、そこにもトヨタの人がいる。山口で借りた車もトヨタのイスト。小型車の中ではこの車が一番好きだ。 まず最初に向ったのは秋芳洞。ここは山口から下関へ向う途中でもあるし、萩へ行く途中にも当たる三角形の真ん中だ。秋芳洞は日本一の鍾乳洞だし、それに続く秋吉台はカルスト台地の大景観となっている。前回の四国旅行の時に、四国カルスト台地へ行く予定だったが雨のため行かれなかった。その分まで秋吉台で取り返したい。カーナビはきちんとセットしないととんでもないところへ連れて行かれてしまうのは九州の阿蘇へ行った時に経験した。コース設定をし直してようやく国道490号線経由の道を示すようになった。この道は宇部の街中から中国自動車道や山陽道(国道2号線)を横切り途中から美東秋吉西寺線という県道に入って秋芳洞まで結ぶ道だ。秋芳洞は観光地だから標識はしっかりしている。国道490号線も空いていて小野湖というダム湖のほとりを通るときには前後に誰もいなかった。秋芳洞には10時過ぎに到着。県営駐車場に入れようとするとその反対側に1日100円という駐車場があったのでそこへ入れる。そこは売店で、500円以上買えば駐車料金はタダで、買わなくても100円で良いそうだ。そこのオバサンが秋芳洞への近道を教えてくれる。秋芳洞へ続く道は江ノ島の参道のようにお土産屋が並んでいた。それでも商売になっているようなのは団体旅行の人が多いからだろう。平日の早い時間だというのに、今日も団体のオバサンが多かった。入場料を払って中に入ると入り口に綺麗な澄んだ水をたたえた池があり、その池が鍾乳洞の中に続いている。鍾乳洞に入ったところはとても大きな洞窟になっていて、青天井というのだそうだ。その謂れは、この入り口の水が太陽を反射して天井に青い反射光が当るからだそうだ。奥へ進むと百枚皿とか南瓜岩とかが続く。百枚皿は階段状に鍾乳石がお皿のように固まってできた場所だ。洞内富士とか南瓜岩などは、言われてみればそうかなぁ、という程度のもの。それでも鍾乳洞は1キロもの長さで延々と続いている。奥に行けば行くほど通路は狭くなるのに、修学旅行の小学生・中学生がいてとても混んでいる。でも、ついでにガイドさんの案内を聞くことができた場所もあった。洞内の最奥は黒谷支洞と言って更に狭くなっている。この支洞の先から地上に出ることもできるが、駐車場とは全然違う場所に出てしまう。この支洞との分岐がある小広くなったところにあるのが黄金柱で、大きな太い鍾乳石が天井から地上にまで達している。ここは団体さんの記念写真撮影場所になっている。僕もスキを狙って写真を撮ったが、鍾乳洞の中はデジカメの小さなフラッシュでは光量が足りずに良い写真は撮れない。 秋芳洞は結局は同じ通路を往復してくることになる。これまでも沖縄の玉泉洞とか富士の風穴とかいろいろ見てきたが鍾乳洞の大きさは最大級だと思う。駐車場に戻って秋吉台に向って出発。その前に駐車料を払わなければならないが、結局お土産を買ってしまった。秋吉台はここからすぐだ。歩きなら、さっきの鍾乳洞の中から上に上れば秋吉台へ出ることができる。秋吉台の展望台のところに駐車場があるのでそこへ行く。カルスト台地というのは大昔海底だったところで、サンゴなどが石灰化し長い間の風雪で土となって草原化したところと未だ石灰として残っているものが混在しているところだ。秋吉台では毎年山焼きも行われているので草原の部分は青く美しい。その中に白い石灰岩がニョキニョキと飛び出ているのは、確かに壮観ではある。北海道の大草原や久住高原の牧場にもこういう風景はなかった。この台地は中国自然歩道の一部になっている。展望台からも妙見原という草原へ歩く道が続いている。でも、この草原にも修学旅行の小学生中学生が沢山いた。 秋吉台を貫く道路があるので、そこへ回る。駐車場はないが通行量が少ないので写真を撮りたいところでは自由に車を停めることができる。途中には草原が草紅葉のように染まっている場所もあった。台地の終わりの方に長者ガ森という秋吉台で唯一残された森がある。そこには歩きでしか行かれないが広い駐車場があるのでそこに車を停めて周辺散策。この駐車場で車をユーターンし来た道を戻る。ところがお昼の時間を過ぎたのに食べるところがどこにもない。結局、秋芳洞の周辺に戻ってきてしまった。ここも所詮はお土産屋で食事はろくなものがない。夕食はフグなので、それに期待して河童蕎麦というので済ますことにする。 この秋吉台からは中国自動車道の美祢インターに乗って下関まで行く。高速に乗らなくても良いくらいの距離だが、急ぐ旅には便利だ。下関ジャンクションで九州門司へ行く道と別れ下関インターで降りる。降りていくらも走らないうちに火の山展望台への登り口がある。急坂を登って行くと立体駐車場にぶつかる。普通の駐車場と同じように入ったところのフロアに停めたら、出口が上になっている。要するに山の斜面を利用した立体駐車場なのだ。駐車場から出ても少し坂を登る。頂上に若干の駐車場があるが、これは身障者用になっている。展望台は2階建ての立派な展望台がある。でもガラス張りの屋内からでは良い写真は撮れない。外を見ると一段低いところに木枠のベランダのような展望所があるので、そこへ行く。展望台からは関門橋とその向こう側に広がる門司の町が良く見える。北海道では立待岬から本州の竜飛崎を望んだが、遠くに陸影が見えるだけで津軽海峡そのものがとても広かった覚えがある。ところが関門海峡は、九州が本当に手の届くところにある。まるで大きな川の対岸のようだ。そこを通る船の通行量もとても多い。こんなに近い距離にあるのだったら人も物資も昔から盛んに行き来があったことが納得できる。 この展望台からは関門橋のほかに船島や彦島が見える。彦島は源平の合戦で平家最後の根拠地となったところで、船島は別名を巌流島という宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘で有名な島だ。巌流島の方向は午後からでは逆光になってしまってうまく写真が撮れない。そういう中で、この展望台からはどこかの会社の人がビデオカメラで撮影していた。スタッフが4人くらいいたのでちゃんとした会社が何かの映像に使うのだろう。 火の山展望台を下って長府に向う。しかし展望台を下りきったところに公園があり、そこに大砲が置いてあるのが気になった。そこでユーターンしてその公園に行ってみるが駐車場がない。赤間神宮のあたりで再度ユーターンして戻ってくると、公園の向かい側に関門トンネルの人道入り口があって、そこに駐車場がある。狭い駐車場で満車だったが、幸いに1台出て行ったので停めることができた。横断歩道を渡ると、「みもすそがわ公園」と書いてある。その公園には源平時代の壇ノ浦の合戦記念碑や、明治維新の尊皇攘夷の時に外国船を砲撃した大砲などが展示してある。こうして一緒に展示してあると「時代」という時の流れが混乱してしまいそうだが、壇ノ浦の合戦が1185年のことで外国船砲撃は1863年5月のことだ。実に700年近くもの時間差がある。平家が滅亡して鎌倉幕府という武士社会の始まりを告げたのも壇ノ浦が舞台であり、外国船砲撃という明治維新の一ページで700年続いた武士社会に終わりを告げたのも馬関という同じ舞台であった。馬関は下関の旧名であり壇ノ浦は下関の一部である。こういうことを考えると歴史というのは実に面白いものだと思う。 この「みもすそ川公園」には紙芝居のオジサンがいた。紋付袴姿で源平合戦の一節を上演してくれる。昔は紙芝居と言えば駄菓子を買ってから話を聞いたものだが、ここでは聴衆が集まればいつでもやってくれる。それも聞き終わったら絵葉書を呉れる。時代は変わったものだ。寒空の中で上演するのは大変だと思うが面白いオジサンだった。 ようやく長府に向う。この公園から長府まではすぐだ。長府にはどうしても行っておきたい所があった。それは巧山寺。長州藩が禁門の変などで倒幕の姿勢から恭順の姿勢に変わってしまった時、高杉晋作がわずか80人の奇兵隊を率いて兵を挙げ、長州藩の姿勢を再び倒幕に戻したばかりか、そのまま幕府瓦解へ突き進んでいった正にその挙兵の地である。行ってみると意外と小さなお寺であった。宗派はウチのお寺と同じ曹洞宗だったので馴染み深い。境内には高杉晋作の銅像があり、山門の前には明治維新義挙の地という石碑がある。このような辺鄙な地でたった80人で兵を挙げた晋作の胸中や如何なものであったろう。成算があったのか、それとも倒幕派が減少しほとんど破れかぶれの胸中だったのか。僕の勝手な想像では、多分後者の方に近かったのではないか。ただ、その中に1%の可能性があり、それに賭けてみたのだと思う。織田信長の桶狭間にも似た心境であったのだろう。吉田松陰や勝海舟や坂本竜馬など人材を輩出した時代ではあったが、この義挙ができたのはたった一人、晋作だけであった。わずか29歳で結核のため世を去るが、晋作が生まれてきたのは、この一時を成すためであったと言っても言いすぎではないと思う。晋作には、その後の世の中の構想まではなかったのではないか。その後の構想は、坂本竜馬が描き陸奥宗光や伊藤博文によって作られて行く。でもどこでその構想が狂ったか、太平洋戦争にまで進むとは思わなかったであろう。巧山寺を訪れたのはほんの短い時間ではあったが、僕にとってはまるで恋人にでも会ったような充実した時間であった。 巧山寺を出るともう4時近い。でもすぐ近くに長府毛利邸があるので、ちょっとだけそこへ寄る。長府毛利邸は関が原の戦いで最後まで毛利家のために戦った毛利秀元を始祖とする長府5万石の家系だ。江戸時代からの邸宅ではないが、明治天皇の宿泊された部屋などが残っている。 今日のホテル、下関マリンホテルは、長府から海沿いに少し下関側に戻ったところにある。道路沿いに大きな駐車場がありホテルと日帰り温泉施設、それにショッピングセンターが併設されている。ホテルは鉄筋15階建ての大きなホテル。玄関前には団体さんのバスが着いたりして個人客向きではないかと思ったが、実際にはとても良い対応で満足できるホテルだった。部屋は905号室。窓からは関門海峡が見えて景色も良かった。早速着替えてお風呂へ行く。お風呂は1階ロビーの脇を通って入浴施設への連絡通路がある。宿の浴衣を着てタオルを持っていればノーチェックで入ることができる。お風呂は内湯が二つ。歩くための浴槽もある。露天は一つだが、その周りがテラスのようになっていて椅子も置いてある。この露天風呂からは海峡が目の前だった。露天風呂にのんびり浸かって風に吹かれているのが好きだ。こうしているとリラックスできる。今日は少し長湯をしたのでテラスになったところから海をみていると、沖合いから横幅の広い船がやってくる。自衛隊の観艦式にも行ったことのある僕は、それが自衛艦であることが直ぐ分かった。この海峡を通るのはどんな船だろうと思って見ていると艦影はどんどん大きくなって周辺の船を圧倒する。海峡を通るためお風呂の近くで船首の向きを代えたとき、141という艦番号が見えた。141というのはペリコプター搭載護衛艦「はるな」である。あれほど大きく見えた艦影だったが、「はるな」は約5000トンの船だ。自衛艦はもう一隻が後方に続いている。こちらの方がスマートに見える。艦番号は172。172という番号はミサイル護衛艦「はたかぜ」だ。この艦も4600トンはあるのだが、「はるな」よりは随分スマートに見えた。 ようやく待望のフグ料理の時間である。夕食は15階の食事どころへ行く。15階は展望レストランになっていて関門橋が良く見える。僕たちの席は一番窓側で良い席だ。前菜を初め沢山料理が並んでいる。そのうえ僕たちの席はお鍋が二つも並んでいる。この宿は文子が会員になっているゆこゆこネットで取ったのだが、海峡プランという料理グレードアッププランにしたのだ。今日の料理は次のとおり。 ★食前酒 ★前菜(河豚皮雲丹和え・河豚皮煮凍り・河豚皮五色膾・河豚白子豆腐・河豚紅葉焼き)★吸物(清し仕立て)★お造り(平政・鮪・鯛・烏賊)★鍋(トラ河豚チリ鍋)★炊合せ(河豚飯蒸湯葉包み)★焼物(河豚二見焼)★変り鉢(茶碗蒸し)★揚物(河豚唐揚げ)★酢の物(河豚刺し)★水物(季節の物)★御飯(雑炊)★香の物三種盛り という全13品である。前菜の河豚皮雲丹和えというのは美味しかった。河豚刺しは東京では高いだろうナ、と思うほどの量があったが、軽く食べてしまった。トラ河豚のチリ鍋も美味しかったが、河豚の二見焼は僕の好きな料理だったし、河豚の唐揚げも更に美味しかった。 食事どころは個人客しかいなくて静かに食事を堪能することができた。食事の途中でフロア責任者の人からアナウンスがある。この時間帯だけ関門橋がライトアップされるのでもし良ければ証明を落とすとのこと。ライトアップされた関門橋は綺麗だったが、写真は三脚がなかったのでだいぶブレてしまった。 満腹で部屋に帰る。そういえば、このフロアも団体客は誰もいなくて実に静かだった。大きなホテルなのに、こういうように個人客にいろいろ配慮しているのが感じられて好感が持てた。お腹をこなした後、寝る前にもう一度お風呂に行く。この時間だとさっきよりも更に空いていてゆったりすることができた。 11月17日(金) ここでは早く起きてもお風呂に行かれる。朝の露天風呂も気持ち良かった。マリンホテルの朝食は昨夜の食事どころでバイキング。洋食のジュースやハムエッグなどもあったので洋食にした。ところが、文子はお腹が痛いらしい。昨夜折角美味しいフグを食べたのに、翌日お腹を壊しては何にもならない。ホテルのフロントで薬を貰い飲んでから出発。 今日の予定は萩まで行き、明治維新の歴史に触れることである。でも、下関から萩へは日本海沿いに走ると結構長い。ホテルを出て下関市内に向う。赤間神宮には立ち寄らず下関市内へ。平日ということもあって下関市内は結構混んでいる。高杉晋作永眠の地という標識を見つけたが近くには駐車場がないので通過。しかし、その近くに薬屋さんがあったので文子の薬を買う。北海道の利尻礼文へ行った時にも同じ症状があったが、その時に良く効いた薬、ガスターテン。ホテルで飲んだ薬が効いているので、もう少し時間を置いてから飲んだ方が良いそうだ。 下関から萩への道は赤間関街道と言われる国道191号線を通る。この道は下関市というのが関門海峡あたりだけでなく内陸に広がっている意外と広い市である、ということを認識するだけで、海もなく展望もなく、たんたんと走るだけである。それでも豊浦あたりまで来ると通行量も少なくなり快適に飛ばすことができる。二見というあたりから国道191号線は、長門ブルーラインという名前に変わり、海を左手に見ながら走るようになる。 特牛(ことい)という変わった地名の駅を通過する。ここは山形県の及位(のぞき)とともに難解な地名の東西の代表だそうだ。これを過ぎた先に砂浜が広がり景色の良いところがあったので小休止。さらにしばらく行くと伊上YYビーチという海岸に出る。ここは整備された海水浴場だが、この時季は閉鎖され駐車場もない。駐車場へ続く道路に車を停めて海岸を散歩。ここには綺麗で静かな海と点在する島があり、伊豆の外浦海岸のようだった。この辺りでは同じ国道191号が北浦街道と呼ばれている。長門市に入った時には予定よりも早い時間だったので、青海島の海上アルプスを見て行くことにする。萩で見たいところが沢山あるので海上アルプスに寄るか寄らないか迷っていたのだが予定よりも1時間早く着くことができたからだ。下関から萩まで距離的には長いので、この辺に着くのは12時頃かと思っていたが11時には着くことができたのは優秀だ。青海島へは海上を跨ぐ青海大橋を渡って入って行く。海上アルプスは観光船も出ていると聞いていたので島の先端の方かと思っていたら、湾が狭まったところに駐車場があった。 この駐車場は無料ではないが管理人が面白い人で、所ジョージの「笑ってこらえて」に出た人だった。駐車場に寝そべっている犬や猫も出たそうだ。海上アルプスへは、ここから散策路が続いている。少し歩くと静が浜という小さな砂浜に出るが、そこは日本渚百選に選ばれた海岸。ここから右手の崖の方に道は続き、左下手に海を見ながら歩く。10分ほど行くと展望台というところに出る。断崖の上で狭いところだが、目の前に海が開け、十六羅漢だの変装行列とか名前の付けられた岩礁が並んでいる。狭いところに団体さんがいてガイドさんの説明を聞いていたので、僕たちはしばらく待たなければならなかった。展望台の先で道は二つに分かれ、一方は海岸伝いに象の鼻と謂われる岬の先端へ出るそうだ。でも、そこまで行くと1時間は戻って来れないというガイドさんの話だった。 駐車場に戻って車を出す。文子は途中でガスターテンを飲んだけど、まだお腹の調子は戻らない。それでも何か食べないとお腹が空いてしまう。青海島観光船乗り場の周辺にいくつか海産物のお店がある。その中の1軒で濱屋というお店が釜飯というのぼり旗を立てていたのでそこへ行く。文子は釜飯にして僕は刺身定食。店内は満席に近く、多くの人が釜飯を注文していたから釜飯が名物なのかもしれない。 ここから萩までは25?ほどなので、もう少しだ。萩の市内に近付くと車が増える。萩城址をカーナビにセットしておいたので、最初にそこへ行く。ここは指月山という小さな半島に飛び出した小山に築かれたお城で、取り壊された天守閣は再現されておらず石垣が残るばかりだった。でも、住居として風光明媚なところと戦闘指揮所として攻め口が1箇所にならざるを得ない戦闘機能とを両立させているのに関心した。このお城の入場券は市営駐車場の向かい側にある旧厚狭毛利家萩屋敷長屋との共通入場券になっている。長屋はその名のとおりの長屋で、内部はいくつもの部屋に分かれているが、全部畳続きの長屋だった。このお城から真っ直ぐ伸びる道から右側一帯が城下町と謂われているところで、白壁の武家屋敷が残っている。車は萩博物館の脇に停めることができた。文子はまだお腹が本調子にならないので車で休む。僕は一人で周辺を見て回る。最初に行ったのは菊屋家住宅。ここは重要文化財の指定を受けているところで、藩の御用を務めた豪商の様子が良く分かる。内部には本蔵、金蔵、米蔵、釜場などがあり、昔の様子が分かる。重要文化財ではあるけれど、萩でなくても見れるのではないか、と思った。萩ならでは、と言えばやはり幕末から明治維新に掛けての人々であろう。この菊屋から近くに高杉晋作出生地と木戸孝允の旧家がある。菊屋の裏側から出て、その道を真っ直ぐ行った右側に高杉晋作の誕生の地があり石碑が建っているが、この日は閉鎖されていて中を見ることはできなかった。木戸孝允の旧宅の方は菊屋の通りをもう少し先まで歩き、右に曲がったところにある。ここは入場料無料だが、寸志を入れる壷があったので少しだけ入れてきた。内部には木戸孝允の系図や写真、それに子供の頃の習字などが展示されている。子供の頃の習字はどれもとても綺麗に書かれていて、字が上手だったことが分かる。習字の上には当時の先生の朱筆で「以ってのほか宜し」などと書かれたままになっている。ここには丁度観光バスの何人かと、そのバスのガイドさんもいたが桂小五郎と木戸孝允が同一人物であることさえ知らないような人たちばかりだった。こういう人たちは何をしに萩にまで来るのだろうか。木戸孝允旧宅は意外に小さく、部屋も6畳や四畳半で当時の侍の質素な生活が偲ばれる。 時間はどんどん過ぎて行くが、萩ではもう一つ行っておきたいところがある。それは松下村塾。今は松陰神社となっているその場所へは車でないと行かれない。松陰神社は大きかったが観光バスも沢山いた。ここでは文子も一緒に歩く。高杉晋作も久坂玄瑞も伊藤博文も明治維新に名を連ねる人たちに多大な影響を与えたのが吉田松陰だ。長州という、都や江戸から離れた土地にいて早くから西洋文明に着目し、江戸へ出た機会に西洋文明を直接目で確かめたくなって密航を企てて挫折。長州に送還されてから野山獄に入れられ、自宅謹慎になってから松下村塾を開く。晋作にしろ伊藤博文にしろ、松陰なくしては明治維新に当たり、あんな行動を取ったかどうかははなはだ疑問である。晋作などは、松陰に感化されなければ上海にも行かず、開国に傾くことさえなかったのではないか。それほどの影響力を持った松陰だが、年齢は非常に若い。安政の大獄によって処刑されたのが29歳のことである。奇しくも高杉晋作と同年齢だ。叔父の玉木文之進が始めた松下村塾で自宅謹慎の間に講義していたにすぎない。だから晋作らが実際に教育を受けたのは3年間に満たないのではないか。その短い間にあれだけ多くの人に影響を与えたのだから、その見識も人格も余程優れたものだったに違いない。その吉田松陰の墓は東京にある。向島の回向院に葬られたのを江戸にいた高杉晋作が盗み出し、杉並の松陰神社に葬ったのだ。萩にある松蔭神社は松下村塾があったところであり、松蔭の生家があったところだ。松蔭神社の境内には生家が保存されており幽囚されていた3畳半の狭い部屋を見ることができる。講義室もあるがせいぜい8畳程度の狭い板敷きの部屋だった。松蔭神社にいる短い時間に、僕はこういう思いに囚われていた。 松蔭神社からほど近いところに伊藤博文の旧宅もある。こちらは大きな邸宅だが、松下村塾の門下生で明治に生き残れた人は数少ない。生き残れたからこそ総理大臣になれたので、高杉や龍馬と同等の人物とはとても思えない。逆に言うと、幕末の大混乱の時代には暗殺の対象にもならなかった小物と見ることもできる。もしかしたら、そういう小物でしかない伊藤博文や山県有朋のような人物が明治の日本を作り上げたこと自体が日本の間違いだったのかもしれない。 この頃には幸い文子のお腹も回復したようだ。今日の泊まりは萩からほど近い「夕景の宿 海のゆりかご萩小町」という宿である。国道191号に出て益田方面に向うと道の駅がある。それを過ぎて笠山へ向うとその左側に宿があった。フロントで手続きをして部屋に案内される。この受付のところで浴衣のサイズを選ぶ。この宿は縦に伸びているのではなく横に長く伸びている。部屋へ行くのに廊下を結構歩く。ところが荷物は客に持たせたままだ。案内された部屋は新館の265号室。部屋だけは広くて綺麗で昨日の下関マリンホテルよりも良かったが、エレベーターを降りてから部屋までの間に団体さんが沢山入っていて騒いでうるさい。着替えてからお風呂に行っても露天は狭くて団体に占領されているし洗い場は4つしかない。そのうえ、このホテルは露天風呂の場所と館内のお風呂の場所がとても離れている。結局僕は部屋に戻って部屋の露天風呂でゆっくりしていた。 もうこの時点でこの宿の評価は最低ランク。じゃらんネットで一人25,000円もしたのにガッカリだ。昨日のマリンホテルはゆこゆこネットで取ったのだが、マリンホテルの方が評価はとても高い。こんな団体向きの営業をしていたら遠からず潰れる宿であろう。 今日の夕食は6時半にしておいたが、いくら待っても文子が部屋に戻ってこない。お風呂で気持ち悪くなったりしているのじゃないかと心配していたのに、売店に寄ってから帰ってきた。それでもお腹が大丈夫になったのは良かった。 待つ間もなく夕食の時間。夕食はここも食事どころへ行く。さすがに宴会をやるような団体と一緒ではなかったが、夕食のお品書きもなかったし、全ての対応においてワンランク落ちる。要するに見かけだけ。心が籠もっていなかった。食事は日本海の海の幸が多かったが、昨日の下関マリンホテルのフグづくしがとても良過ぎたので、余計印象が薄い。 それでも部屋付き露天風呂から眺めた星空は綺麗だった。 11月18日(土) 旅の最終日は今回はせわしない。羽田に帰る飛行機が夕方の便が取れずに12時半の飛行機になってしまったからだ。このホテルの朝食は昨夜の食事どころで和食の朝食。ご飯をお代わりして海苔も玉子も綺麗に食べてきた。 宿を出て笠山に向う。ここはホテルから15分くらいで来ることができる。笠山とは日本海に突き出た岬だが、日本一小さな火山である。火山と言っても死火山か休火山かで危険はない。頂上に火口があり噴火の跡も残っている。海が見える方には展望台があり、眺望図が書いてある。海の上に萩諸島と言われるいくつかの島々が見え、反対側には昨日行った指月山や青海島などが見える。まだ早朝ということもあるが、この日はことのほか寒く感じた。この笠山には自然の椿が群生しているところがある、とのことだったので帰りに行ってみる。それは海辺に近いところにあったが、花の咲いていない今ではどうっていうことはなかった。この周辺の海辺では海草を初めいろんなものが取れるらしい。無断採取禁止の立て札と釣り人の姿が多かった。 笠山の帰りに明神池に寄る。ここは笠山の噴火により海が閉じ込められたところで、内陸にありながら石鯛やイサキなど海の魚が泳いでいる。伊豆の大瀬崎にある神池は海が見えるほど近いところにあるのに真水だが、ここは今でもどこかで海と繋がっているらしく海水魚が泳ぐ珍しい池である。 帰りは再び萩市内を抜ける。文子が海辺へもう一度行きたいというので指月山の麓の菊が浜に寄る。あとは山口宇部空港まで戻るだけである。萩有料道路というのがあったが、遅い車が走っていたので国道262号の旧道を行く。カーブが多いが、通行する車がほとんどいないのでこの道の方がバイパスみたいだった。萩から山口方面に戻るにはこのまま行けば良いのだが、国道490号から宇部へ行くつもりで秋吉台方面へ向う。秋吉台に近付いた頃、絵堂という標識があった。ここは高杉晋作が巧山寺で兵を挙げた後、当時長州の政権を握っていた恭順派の長州軍と奇兵隊が戦ったところだ。つまり、巧山寺挙兵⇒馬関(下関)奪取⇒絵堂の戦いでの勝利⇒山口政治堂の制圧⇒萩恭順派の崩壊⇒長州藩全体が倒幕派へ⇒四境戦争での勝利⇒幕府崩壊へと繋がるのである。実際には巧山寺で挙兵した高杉晋作は遊撃隊を率いており、この戦いの最初の頃には間に合わなかった。最初は山県狂介(有朋)率いる奇兵隊が戦ったのである。実際に通った絵堂は国道が通るばかりで周辺は山ばかり。すぐ右手(萩から行って)には秋吉台が迫っている土地だった。 秋吉台からは来た時に通った道、と思っていたが国道490号の途中で文子が山口空港方面という小さな標識を見つける。初めは狭い道だったが途中から広くなり、最後は工業団地に出てしまう。でもその先に山口宇部道路という高速道路がある。由良というインターから高速に乗って空港に着いたのは11時半を回っていた。山口空港ではレンタカーも空港の駐車場に停め、空港内のカウンターに駐車場所を言うだけである。 空港でチェックイン手続きをするとスーパーシートに空きがある。一人5,000円だがスーパーシートならお昼のサービスもあるので購入する。2番のAとB。もともと帰りは窓側の席が取れてなかったので丁度良い。空港内で最後の買い物をして飛行機に乗り込む。搭乗の際もスーパーシートは優先搭乗となる。スーパーシートは座席も広くリクライニングも大きく足乗せもある。ポケットにはスリッパも入っていた。お昼は水平飛行に入ってからサービスされるが幕の内風のお弁当で結構美味しかった。スーパーシートには専任のパーサーも付く。羽田到着は午後2時過ぎ。昼間の湾岸は結構混んではいたが、横浜横須賀道路も東名もウィークデイの方がよほど混んでいた。 山口県を訪れたのはまったく初めて。でも、馬関、萩、絵堂どこへ行っても司馬遼太郎の小説で良く知った地名ばかりだった。さらに、その登場人物は、僕の頭の中では、とっても以前からの知り合いのような感じだった。もしかしたら、再び来ることはできないかもしれない。それでも、維新の人物たちが行き交ったであろう馬関や萩を訪問できたことは、僕にとってはとても嬉しいことだった。 それに忘れられないのは下関のふぐ料理。是非もう一度食べに来たい。今度は文子のお腹も調子が悪くならないように大事に食べよう。また割引チケットが取れたらフグを食べに来ようかな。でも北海道のカニを食べに行くのが先かもしれない。

山口県:駆け足観光ツアー?なぜか下関

駆け足観光ツアー?なぜか下関
今年に入ってから、テレビで下関を何度か見かけた。 私の大好きな市場でのグルメ。耳なし芳一を祀った神社。 突然行きたくなってしまいました。 3月は仕事柄わりと休みが取れるしぃ。 まだマイレージが国内便くらい分は残っているぞ。 という訳で、羽田〜山口宇部空港間の往復チケットを無料でゲットしつつ、4日間をどのようにまわろうかと考えるところから旅はスタート。 まずは最初の目的地、下関に向かい、一泊することにしました。 朝7時半出発という早いフライトのおかげで、下関にはお昼前に到着。 ちょこっと買い物したり、ホテルに荷物を預けたりしつつ、観光に向かいます。

山口県:真夏の山陰・山陽の旅 〜(3)山口編 その1〜

真夏の山陰・山陽の旅 〜(3)山口編 その1〜
8月のお盆休みに山陰・山陽地方を旅してきました。 最初に鳥取に到着し、レンタカーを借りて、島根、山口、広島と、4泊5日のドライブ&観光&グルメの旅です。 そんな旅の山口編 その1(3日目)です。 2泊目の宿泊地、浜田をあとにして、山口の旅のスタートです。 まずは、萩に寄って松蔭神社や萩城址を観光し、その後、昼食。 昼食後は、秋吉台のカルスト台地を眺めながらドライブ、そして秋芳洞を観光し、その後、3日目の宿泊地である下関へ。 なお、下関からは、山口編 その2 にて。  【1日目】自宅 → 羽田 → 鳥取空港 → 砂丘 → 三徳山 → 富田 → 皆生温泉(泊)  【2日目】宿 → 松江 → 出雲 → 石見 → 浜田(泊)  【3日目】宿 → 萩 → 秋吉台・秋芳洞 → 下関(泊)  【4日目】宿 → 岩国 → 宮島 → 広島市内 → 広島(泊)  【5日目】宿 → 尾道 → 広島空港 → 羽田へ

山口県:真夏の山陰・山陽の旅 〜(4)山口編 その2〜

真夏の山陰・山陽の旅 〜(4)山口編 その2〜
8月のお盆休みに山陰・山陽地方を旅してきました。 最初に鳥取に到着し、レンタカーを借りて、島根、山口、広島と、4泊5日のドライブ&観光&グルメの旅です。 そんな旅の山口編 その2(3日目の夕方〜4日目の午前中)です。 萩・秋芳洞をあとにして、3日目の宿泊地である下関へ。 下関に到着したのが予定より早かったので、下関の街を少し探索。 4日目は、朝一に下関の唐戸魚市場に寄ってから、岩国へ。 岩国では、錦帯橋、岩国城の観光後、岩国寿司の昼食を食べ、そして、いよいよ旅の最終目的地、広島入りです。  【1日目】自宅 → 羽田 → 鳥取空港 → 砂丘 → 三徳山 → 富田 → 皆生温泉(泊)  【2日目】宿 → 松江 → 出雲 → 石見 → 浜田(泊)  【3日目】宿 → 萩 → 秋吉台・秋芳洞 → 下関(泊)  【4日目】宿 → 岩国 → 宮島 → 広島市内 → 広島(泊)  【5日目】宿 → 尾道 → 広島空港 → 羽田へ

山口県:山口紀行 その2 長門? 

山口紀行 その2 長門? 
国道316号を北上し長門市に入る。 長門湯本温泉の奥の大寧寺には、大小の石を組積みしたのみの盤石橋がある。340年前の寛文8年に建架されたもので、文化的価値が高い。 そこから更に市街地に近い赤崎神社には、赤崎山の斜面を利用し谷底の部分を舞台にして、石垣で築き上げた階段状馬蹄形の桟敷がある。国指定重要有形民俗文化財に指定されている。 歴史に触れた後は、仙崎から青海島一周の観光遊覧へ。断層、洞穴、石柱など海蝕によって岩肌の色が変化に富み海上アルプスと呼ぶに相応しい景観だ。1時間半の航行も短く感じる。 この後長門が生んだ童謡詩人金子みすゞの記念館を見学し、今宵の宿、黄波戸温泉ホテル彩波へ。

山口県:山口紀行 その? 長門?・萩

山口紀行 その? 長門?・萩
黄波戸温泉に1泊し、山口紀行2日目は先ず長門の海岸美を楽しむ。 最初に訪れたのは二位ノ浜。源平壇ノ浦の合戦で敗れ、幼い安徳天皇を抱いて海中に身を投じた二位の局の亡骸が流れ着いたという伝説から「二位の浜」と言われるようになったとか。ハマユウの日本海岸自生北限地でもある。残念ながら花の時期は終わっていた。 次は千畳敷。標高333mの高台に広がる草原。眼下には日本海に浮かぶ島々。海を渡る風も爽やかだ。 千畳敷から程近くには「日本の棚田百選」に選ばれている東後畑の棚田がある。海岸近くの丘陵地のため夕日が沈む日本海にイカ釣り舟の漁火が無数に輝く風景は見る者を圧倒する美しさで、多くのカメラマンが訪れるそうだ。 玄武岩が露出し、水面下の洞窟と連なり打ち寄せる波が音を立て海水を30mも吹き上げる「竜宮の潮吹き」、本州最西北端の川尻岬と巡って萩へ向かう。 萩城の城下町で先ずは昼食。萩焼の店や重要文化財の菊屋家住宅など城下町をしばし散策。静岡の韮山と共に全国で2か所しかない萩反射炉を見て、阿武町須佐のホルンフェルス大断層へ。断崖絶壁の岩の上に立つと足が竦む。迫力ある写真が撮りたいがちょっと無理。 須佐から国道315号を南下、中国道鹿野ICから中国・山陽道を経て帰宅。山口堪能の旅でした。

山口県:滞在時間○○分の下関エリア

滞在時間○○分の下関エリア
大河のような関門海峡を眺めながら走る。 台風13号の影響なのか雨脚は強い。 何気に転がしていたら・・・ 関門トンネルの標識ミッケ♪ そうだ、山口県へ行こう〜 と、リサーチもなく潜ってみた。 そもそも今回の旅を企てたのは、20日前! ?門司レトロ ?海の中道 ?温泉 この3つが魅力で選んだ旅だった。 が、ノロノロ台風の接近で雨。 中州・筌の口温泉・天瀬温泉・平尾台・皿倉山・・・etc 計画倒れも甚だしい。(;;)悔しい! 不完全燃焼ぎみな九州の3日間であった。 レンタカー48時間の走行キロ数300Kmというのもメッチャ少ない。 と言う訳で、最後の足掻きで、セコク!! 山口県までアシを延ばしたのであった。 表紙は2006GWの壇ノ浦です。

山口県:おいでませ山口キャンペーンの旅<3日目:乗り鉄とイカ>

おいでませ山口キャンペーンの旅<3日目:乗り鉄とイカ>
この夏、山口デストネーションキャンペーンで「サロンカーなにわ」を使った「SLやまぐちDX」号を走ると言うことで、温泉巡りと合わせて、撮影と思っていたら、幸運な事に乗車の1週間前に指定券をGETして撮影&乗車と言う機会に恵まれました。 なんせ、JR西日本で「お召し」列車としても使用される「サロンカーなにわ」に乗車できる機会&SL牽引は滅多にない組み合わせですからね。 そして最終日:乗り鉄とイカです

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